キャシーの総括

高校の軽音楽部、大学のバンドサークル、自分の話

生まれる前の話

どうして軽音楽部に入ったのか、とりあえず時系列の最上流から考えよう、となると家族のことに触れないわけにはいかない。
母は静岡県西部の片田舎に生まれた。どういう順番で音楽にハマったのかを正確には知らないが、中学の卒業文集の寄せ書きに「Confusion will be my epitaph.」と書いたらしいので推して知るべしだ。

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彼女が中学時代にレコード音源を録音して作った「好きな曲オムニバス」的なテープが実家にいくつか転がっている。結婚後も、俺が生まれた後も、そして今もほぼ毎年(テープ~MD~CD-Rとメディアの変遷を挟みながら)こういったオムニバスは作り続けている。

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母が中学時代に作った現存最古のオムニバステープより。ボーカルは後にAC/DCへ加入するBrian Johnson、ということを母は知らない


地元の高校へ進学後もQueenを名古屋へ見に行く(初来日の75年orその翌年か?)など順調に育ち、大学進学を機に上京したその頃、時勢はパンク&ニューウェーブThe ClashThe JamTalking HeadsUltravoxThe Boomtown Rats……。実家には錚々たるメンツたちの半券が大切に保存されている。ただただ羨ましい。

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母曰く「とにかく歌声がしゃがれていた」



と、ミュージック・ライフ直系リスナーだった母に対して父は文化祭限定バンドマンの経歴を持つ。
北の地・札幌でDeep Purpleのフィルムコンサートや山下達郎オフコースのツアーを観に行くなどしていた父は、高校生の頃ギターを手に取りWishbone Ashのコピーを演奏した、らしい。この時の演奏がテープに残っているが、父自身が時折思い出したようにテープを引っ張り出してきたときを除けばまともに聴いたことはない。その後ギターを熱心に続けることもなかったようで、いま試しにギターを渡してみてもBlackbirdのさわりを辛くも弾ける程度だ。

音楽的な影響をより受けたのはどちらか、と考えるとどうしても母に軍配が上がる。父が好きなオフコースMarvin GayeもBobby Caldwellも今のところ通る気配がない。でも母だけが音楽好きだったら家のCDラックにDonald FagenのThe Nightflyが並ぶことはなかったし、私の世界も今より少しだけ狭かったはずだ。

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父の実家に残された大量のレコードのうち何枚かを引き継いだがこれも押し付けられた。いずれ聴く日が来るかもしれない。



中1のクリスマス、こんな両親から私はアコースティックギターを買ってもらった。長い旅が始まる。