キャシーの総括

高校の軽音楽部、大学のバンドサークル、自分の話

特撮マリオ公文式小僧、ギターを手に取る(前編)

13歳のクリスマスに浦和コルソの山野楽器で両親からアコースティックギターを買ってもらった。リクエストに沿う形でのプレゼント、なんだけど本気で欲しがってたかというと微妙なところで。とっさの思い付き、半ば冗談で言ってみたらその足で楽器屋に連れていかれてしまっただけだ。

家族の中に演奏面での音楽的素養を持つ者はいないし、友人との間で「バンドやろうぜ!」的なノリを発揮したわけでもない。「ギターが欲しい」などと口走るまでにどんな経緯があったのか。

 

学生時代はそれぞれの形で音楽と接していた両親も働き始めてからは音楽に対して特別な熱を上げることがなくなった。否、そもそも学生の段階で熱の上げ方が「特別」だったのかは分からない。当時からすれば文化祭でバンドを組むのも新宿や渋谷へ外タレを観に行くのも、今以上によくあることだったのかもしれない。

都内の支店で出会った父と母は私の生まれる5年前に社内結婚し、ほぼ同時に1~2年周期の転勤族生活を始めることになった。

バンドブーム真っ最中の1990年からは約2年間の海外駐在も経験した。帰国すると母曰く「B'zという全然知らないグループ」がヒットチャートを席巻していた。

この時期(から向こう10年)の音楽業界の移り変わりの激しさは言わずもがな。

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この頃から、母が中学生のころLP・EPでそうしていたように、二人でレンタルショップでその時流行りのCDシングルを借りてカセットに落とし込むという習慣が定着する。

私と妹がオギャーしたのもその頃。

両親はスバル・レガシィの後部座席からガキどもが、カーステから流れるサザンの「愛の言霊~Spiritual Message~」のリズムに合わせてシートをガンガン踏むのを耐え続けていた。

私がカラオケで初めて歌ったポップスはWhiteberryの「夏祭り」。買ったばかりのWindows98を駆使して作られた初めてのCD-Rオムニバス「2000年夏・ベストセレクション」に収録されていた。

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と、流行りの曲を着実に押さえることができる環境だったとはいえ、「音楽が好き」という感覚は更々なかった。

ウルトラマン怪獣図鑑で識字能力を高め、SFCの「スーパーマリオワールド」でハナチャンを踏みまくって得点をカンストさせ、公文式の教材に汚い字で四則演算を書きなぐる、それだけの児童だった。

 

転機が訪れたのは2003年。あのメガヒットグループの登場によって私は「バンド」を知ることになる。