キャシーの総括

高校の軽音楽部、大学のバンドサークル、自分の話

もうすぐ30才

2022年はとうとう一度もブログを更新することができなかった。

実のところはテレビ評論コラムニスト・ナンシー関の没後20年をテーマにした記事を書こうという構想はあった。小学生から今に至るまでナンシー関ゲッツ板谷の文庫本くらいしかまともな文章(?)など読んでないのだからせめて前者にお線香くらい焚いておかねば、という魂胆だ。300字ほど書いてみたが前書きだけでダレてしまい、本題に足を踏み入れることのないまま下書き欄に寝かしっぱなしとなっている。

どうも長文を書こうとすると過度に気取ろうとする癖があるようだ。

あの140字のSNSであっても人との”違い”を出そうと躍起になり(数日に1回しかツイートしないくせに)そのたびに悪い意味でソリッドなクソを排泄し続けている。

ましてやはてなブログ、晴れ舞台に何を着ていこうか、こっちのネクタイかあっちのスカーフか、いやバンドTこそが正装だ、金属アクセサリーはよくない、などとクローゼットの近くをうろついている間に除夜の鐘鳴る夜が2度も訪れてしまった。

「等身大の表現」なんぞ単にそう見せる技能が存在するだけだと承知はしているが、つまるところ私は技能不足なのだろうし、ナンシーとゲッツ以外の世界を獲得できていない、否それすら得られていない己のインプット不足ゆえだ。読書量不足からくる物足りなさは年々その重みを増しているように思えてならない。小6のころ読書委員だったのに。ダレンシャンくらい読んでおけよ。ゾロリしんぶんを学校の図書室に求めるなよ。

 

 

 

29才が30才になっても参院選が終わったばかりの2023年の世において変わることは何一つないがせめて近況らしい近況をまとめておきたくなった。

 

21年夏から1~2か月に1度の頻度でよしもとの劇場に足を運ぶようになった。幕張に2回、大宮に3回、ルミネと∞ホールに1回ずつ、神保町は4回か5回か。われらがナイチンゲールダンスNSC同期芸人であるそいそ~すを見るたびに涙を流している。大宮で見たバンビーノもその日一番笑ったし、芸人の大声を浴びるというのはかくも愉快・痛快なことであろうか。

 

ギターはほとんど弾かなくなった。もともと私はビートルズという神に祈りを捧げたくて、もう少し俗な言い方をすると楽器でコピバンというカラオケ行為を行ないたいがためにギターを手に取ったにすぎず、会社でオヤジバンドの頭数に数えられることをむしろ期待していたのだがお声はかからず、コロナ禍によって年末社内パーティーも廃止されてしまった現状において楽器を手に取る機会は月に数回程度だ。いやけっこう弾いとるがな。

 

レコードも時々漁っているが以前より明らかに購入ペースが落ちてきている。既存の名盤を収集するに留まっておりいよいよ頭打ち感も否めない。米英オリジナル盤を集めるのは、今以上のグレードのオーディオ設備を整えるのは少なくとも今住んでいる木造アパートを脱してからでいい。

 

 

先述のナンシー追悼文だが、「仮にいまナンシーが生きていたとしてもきっと時代の変遷にあおられて……」といった道筋を思い描いていた。90年代に週刊誌で華やいでいた文筆家たちがいまどうなっちゃっているか、わざわざ追わずともツイッターで嫌でも目に入ってくる。ヤックンは最早はなまるマーケットに住んでなどいないし、とんねるず野猿で蘇ってから約20年後に2度目の死を迎え、森繁久彌川島なお美もナンシーと同じところへいってしまった。世界には意味も希望も転がっていないし、気取った文章が抜けないまま30代に突入してしまいそうだけれど、せめて心にナンシーを。