キャシーの総括

高校の軽音楽部、大学のバンドサークル、自分の話

特撮マリオ公文式小僧、ギターを手に取る(後編)

ORANGE RANGE

我々世代と切っても切り離せぬビッグネームである。

2nd『musiQ』はダブルミリオン、3rd『ИATURAL』も出荷ベースでミリオンヒットを叩き出した。『ИATURAL』が発売された2005年以降にオリジナルアルバムを100万枚売ったバンドは他にサザンとミスチルしかいない。

 

ИATURAL』は自分が生まれて初めて自分の意思で買ってもらったアルバム。『musiQ』はレンタル品を親にCD-Rへコピーしてもらい、しばらくは公文式の英語教材用CDプレイヤー「E.master」で聴いていた。

そのうち埒が明かなくなり、12歳の誕生日に叔母からiriverのMP3プレイヤーを買ってもらった。同じ年に両親からはMDプレイヤーをもらったがどちらをより使うかは言わずもがなで、親には申し訳ないことをしたと今でも思う。

 

 

今になって聞いてみるとNAOTOの音楽オタクっぷりこそ伝わるもののフロントマン3人の軽さは当時感じていた以上のものがある。ネット上での「軽すぎる」という批判に小中学生の頃は眉をひそめていたが今になると分かる、この軽さ。後年の鑑賞にギリギリ耐えられてない。

でも「上海ハニー」なんかRYO以外ハタチでRYOは18だったししゃーないよなあ。RYOは高校を卒業する自分を重ねながら「ミチシルベ~a road home~」をRECしてたらしい。しかし話のインパクトとしては平川地一丁目の兄が中学卒業に先駆けて「桜の隠す別れ道」を作った方に軍配が上がる。

そんなことはどうでもよく、ORANGE RANGEのおかげで私はギターとベースとドラムが何かを知り、押韻というラップのルールを知り、刺激たっぷりの穴を知り、ポップスとロックの間に線引きをしてみたりするようになった。自分と一回りくらいしか離れていないニーチャンが自由な歌を歌ってオリコン1位を取る、そこにカッコ良さを感じてたのかもしれないと今になって思う。

 

自分がマイブラに最後までピンとこなだったのは初聴のとき「yumekazeじゃん!」って思っちゃったからだと思うたぶん 

 

ようやく「音楽が好き」という自覚が芽生えた私はここからローティーンなりに趣味の幅を広げていくことになる。SOUL'd OUT(一瞬)、バンプレミオロメンアジカンエルレ、とお決まりのルートを歩む。そしてずっと前から家にあったビートルズの青盤のヤバさに気付いたことでようやく「ギターを弾いてみたい」という感情が芽生え、13歳のクリスマスを迎えることになる。

その道筋を辿るにあたりどうしても無視できないトピックがある。あまりおおっぴろげに語るのが憚れられるトピックではあるしこのまま風化されていったほうが世のためではあろうが、ネット小僧としてそれはなんだか悔しいのでいずれ触れることにしよう。